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2012.5.31 『似て非なるもの』

世の中には「似て非なるもの」が沢山あるが、現場で行われている作業を改善しようとするとき、「ムダ排除」と「手抜き」の違いを、きちっと理解できている人は意外と少ない。「ムダ排除」とは、「やる必要のないことを省く」ことであり、「手抜き」とは、「やらなければならないことを省いてしまう」ことである。「手を抜く」ことと、「ムダを省く」ことは、行為としては似ていても動機が全く異なる。

2012.5.29 『企業の中の無駄』

企業の中にある無駄を考える上で大切なことは、「顧客の要求する品質・納期・価格を阻害する全ての要素・要因」という捉え方だと思う。それ自体「経営効率の向上を阻むモノ・行為」でもある。「働き」が価値を作り出すものであるのに対し、「無駄」は原価を高めるものである。売値を高くして儲ける一円も、無駄を省いた一円も、一円は一円で同じ値打ちだが、内容において天と地の違いがある。

2012.5.24 『仕組み』

私達は会社の中だけでなく、日頃の生活の中でも「仕組み」という言葉をよく使うが、辞書で探すと「仕組みとは、物事の成り立ち・構造」というように解説されている。したがって、会社の中の「仕組み」は、仕事の成り立ちと、それを進めていくポイントを「ルール(基準)化」したものと考えることも出来る。「基準」というのは、不変であることが望ましい姿だが、企業活動の中では、環境が変われば変えなければならないこともある。しかし、会社の中では、変えていくことに物怖じする人が多い。「基準(ルール)」を破ったり、守らないことと、周りの変化に応じてルールを変えることは全く別の次元の話である。

2012.5.22 『企業の価値とは何か』

ある会社で社長と懇談をしている際、「企業価値」という言葉が出てきた。よくよく聞いてみると、最近の経済用語というか、株式取引に関わる用語として「企業価値」という言葉が出てくるようだ。最近の経営者や経理担当の幹部は、証券取引所や銀行の評価をとても気にするようだが、滑稽な話だ。このような会社の役員に限って「Jソックス(ソックス法日本版)」とか、「コンプライアンス」というような言葉を多用する。あまり腹立たしいので「あんたのところの会社は社長の手が後ろに廻るようなことをしているの?」と聞いたことがある。こういう会社は「企業の使命・役割」という言葉の本質をどのように理解しているのか、はなはだ疑問に思う。

2012.5.17 『不思議な現象』

給料が銀行振込になってから、一家の主人の地位は確かに低下した。しかし、働いている本人も、給料が自動的に振込まれるために、「銀行が給料を払ってくれている」ような錯覚に陥っていることも否定できない。子供が友達が持っているものと同じモノをねだるので、母親が「家にはお金がないの」と言ったら、「カードで買えばいいじゃーないの」と言った、という話の中、お金が無くなれば「銀行へ行けばある」と、家族のみんなが思っているのではないだろうか。

2012.5.15 『ものさし』

企業の現場に限らず私達の生活の中でも、何かをしようする時には必ず基準になる「ものさし(比べるもの)」が必要である。「ものさし」を持っていないと、結果の評価もできないし、諸事に追いかけられるだけである。しかし、どんな「ものさし」を持つかということと、「ものさし」の使い方が問題である。「ものさし」には、定規のように形のある「ものさし」と、それぞれの人の「心さし(価値観・道徳感)」がある。企業は人が運営するものだから、その人達の「ものさし(正)」がしっかりしていれば、周りの変化に柔軟に対応できるが、変化に振り回されているときは、「正」が無いか「正」を勘違いしているか、のどちらかである。

2012.5.10 『怠け心』

気まぐれな性分というのは、怠け心そのものということだろう。私自身、その日のうちに片付けなければいけないことを放置して、いろいろな事に手を染めるから、全てが中途半端になってしまう。だから、あまり人のことをとやかく言う資格はないのかも知れないが・・・どこの会社に行っても同じことをよく見かける。一日の中でも、絶対に済ませておかなければいけないことや、先に済ますべきことを放置して、都合の良いことだけを片付けて一日が暮れる。翌朝、前日のやり残しを放置して、別のことを始めるのを見ると、「どうでもよいような仕事しか持っていないのだろうか」と思ってしまう。

2012.5.8 『しょうがない』

私たちは、思いどおりにならない時や、何かが上手くいかないことがあると、口癖のように「しょうがない」という言葉を使う。考えてみれば、「しょうがない」という言葉は、ある意味「アキラメ」のときの言葉であり、「逃避」「放てき」とも思える。しかし「もっと良いやり方は?」とか「他に何か手だてがないだろうか」と、あの手この手と性懲りもなく挑戦する人達は、「しようがある」と思っているだろうから、「しょうがない」という言葉は無縁だろう。

2012.5.1 『資料を見る』

何かを管理しようとする際に、大方の場合、なんらかの資料が介在する。管理とは、仕事の流れが見えて、即座に問題点が浮き彫りになるようにすることである。今の世の中はデジタル化の時代だが、数字を並べただけの資料は傾向が見にくいから、問題点も浮き彫りにならない。その意味合いからも、管理資料は、トレンドが「流れで見える」アナログ的に作るべきである。アナログ的に見ると、仮説線が見え(心の働き)、仮説線に沿って予/実を見ると次の行動につながる。結果だけをきっちり管理しようとすると、ダブり作業が増えて、帳票が多くなるばかりである。変化の過程や根拠が明確だから、心が前向きに動き、「目の前を明るくしてくれる」もの、それが本物の資料と言えるだろう。

2012.4.26 『ものの見方や物事の考え方』

「ものつくり現場」に携わるものにとって大切なことは、「物事の基本となる考え方」や「事実の見方」をしっかりすることだと思う。ものの見方や考え方の違いは、「価値観の違い」となって現れ、ものの見方に大きな相違が出てくる。「見る」という字は、最も一般的に使われる字で、「目に見える働き」を意味するようである。日本語で使う漢字は中国からきたものだが、「みる」という言葉一つをとっても沢山の字があるが、「偏や旁」の字の成り立ちから、その字の持つ意味や使い方を、本当に上手く使い分けられていると思う。例えば、「看る」という字は、手という字と目という字を組み合わせたものだが、字の形として目の左上に手の字があるから「看板」という字になったり、手を目の代わりにすることからだろうか、「看護」や「看護婦」という字になって使われている。考えてみれば「みる」という行為を表す漢字や使い方は沢山あるが、とりわけ大切なのは「観る」という字だと思う。「観る」という字の「観」は「観音様の観」、「目には見えないものを見る」、つまり「心眼(心の目)」を開いてみるものだろう。何かを「みる」ということは、その前提にはある目的があるわけだから、見たことに対する自分自身の「判断の基準」がなくてはならない。

2012.4.24 『「わかりません」からすべてが始まる』

「わかりませんから教えてください」と、素直に聞くことができるか。これは新入社員、若い人、新しく監督者になった人達の特権である。年をとると「わかりません」という言葉は、言いにくくなる。「こんなことも知らないのかと思われるのは恥ずかしい」と思って、素直に聞くことができない、教えてもらうことをためらってしまう。しかし、「分からないことを教わろうとしない」ことを叱る上司はいても、聞き返すことを怒る上司はいないのではないだろうか。だから、素直に聞くことができるかどうかで「この先、伸びるかどうかが決まる」といっても過言ではないだろう。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。言葉を換えれば、「知るは一時の苦難、知らぬは一生の苦難」。

2012.4.19 『企業人であったときの自分に悔いはないか』

1.定年になった後の残りの人生をどう生きる?
*それを新しい門出と思い、有意義に生きる自信があるか。
2.坂道を歩いたり走るときは、下り坂よりも上り坂の方が辛いが、人生は下り坂の方が辛い。
*定年になると名刺がなくなるし、学歴もさほど役に立たない。
3.学歴が必ずしも学力と同じではないように、経験年数の永さは、絶対価値とは言えない。
*レッテル(学歴や肩書き)実体ではない。
4.肩書きをほしがる人は、肩書きがついた後は、肩書きを振りかざす仕事は増えるが、もともとの仕事のやり方はかわらない。
*肩書きや、学歴は実態ではなく虚像である。
5.権勢を誇ったボス猿でも、一旦権力の座から離れると普通の猿以下になるそうである。
*たまには、組織から離れたときの自分に想いを馳せてみてはどうだろう。
6.その人に与えられた時間は、他人の勝手にはならない。
*ただ、その人がその時間を「どのように生かすか」によって、その人の人生は確実に変わると思う。
7.失敗をおそれて何もしない人がいる。
*何もしなければ失敗することはないが、その人には何も残らない。
8.人生には帰りの切符はないから、毎日最善を尽くしたい。
*しかし、実際には「若しあのときにこうしておけば」の繰り返しで毎日が過ぎる。

2012.4.17 『団塊の世代』

2015年くらいまでの間、いわゆる団塊の世代といわれる人達の大量退職が続くそうだが、この人達の多くは未だ働ける能力と体力を持っているのに、今の国や企業の制度の中では生かす仕組みがない。一方で、企業内では中核人材が不足し、生産年齢人口は少子化問題と相俟ってますます減少傾向にあるが、この矛盾を誰がどうのように解決するのだろうか。

2012.4.12 『事務の仕事その3』

製造現場で、改善活動に取り組む際には素材が完成品になるまでの「工程の成り立ち」や、作業のやり方、レイアウトや「人と機械との関わり」などを調べ、より良いやり方を工夫する。一方、事務の改善は、CPUなどOA機器への依存度が高い。そうすると「事務改善」の殆どが「機器入れ替える・ソフトの変更」が前提となり、高額の費用と長い期間を要して、改善が進まない言い訳作りにもなってしまう。

2012.4.10 『事務の仕事その2』

事務の仕事は、一般的に書類の作成や転記、作成されたもののチェックや判断と、承認、伝達・徹底・保管というように受け止められている。企業の活動は「お客を探す仕事から、債権回収まで」の仕事の一連の流れの繰り返しであり、そこで前述の仕事が介在する。この基本的なことが理解されていないと、「事務部門による、事務部門のための、事務作業」となり、結果的に固定費の膨大化に進む。

2012.4.5 『事務の仕事その1』

企業はある製品を作り(仕入れ)、それを商って利益を出す活動を繰り返す。その過程でいろいろな情報の加工や必要な証憑の作成・伝達に関わる仕事を一般的に事務作業という。事務作業の結果として出来る帳票は、「仕事を進める帳票」「取引の証左となる帳票」「管理のための帳票」の三つに大別できるが、それぞれ独立的にあるわけではなく、有機的につながりを持っていなければならない。

2012.4.3 『保全の心』

機械のトラブルというのは、人間の病気や怪我と同じである。人間ならちょっとした怪我でも大騒ぎするが、機械の場合は、目立った症状が無くても無言で堪えているので、人間と同じように配慮することが必要だ。つまり「声無き声」「表情無き表情」を如何に早く読み取り対処していくか。そのために、日頃から機械と「どんな対話を心がけるか」が、保全の心(マインド)ではないだろうか。

2012.3.29 『悔しさと反省』

仕事というのはいつも上手くいくとは限らない。悔しい思いで椅子をぶん投げたくなるときもある。然し、それで解決するわけではない。自分の仕事の悔しさをどこにもっていくのか。結局は「自分のやり方の何が、どこが悪いのだろう」と反省しないと、それから先には何もつながらない。原因他人論で「うまくいかない」と騒いでいないで、自分責任論でやるべき事をやる。いつもそうありたいと思う。

2012.3.27 『文句を言わず改善しろ』

私が係長の頃、経理が「仕損じ伝票」という伝票を作ってきて「不良が出たらこの伝票に書いてくれ」と言ってきた。早速、翌日から始めたが、たちまち現場から「面倒で大変だ」と苦情がきた。私も書いてみたが確かに面倒だ。「あんな面倒なことは出来ない」と経理に苦情を言ったら、「書くのが面倒で、書きたくなかったら不良を出すな、改善できるまで文句を言うな」と社長から大目玉をもらった。

2012.3.22 『原価は諸々の鏡である』

『原価』は「売り方・作り方・運び方」など、企業の中のいろいろな問題点を映し出している『鏡』である。企業が大きくなれば必然的に仕事を分業化するが、分業化された組織単位で生産性の追及をしはじめると、結果として全体の効率を損ねることになる。役割は分けられていても、同じ会社の仲間なのに何故か「作る我儘、売る勝手、運ぶ都合で仕事を仕組む」、原価が上がるのは当たり前だ。

2012.3.15 『無駄とは』

何を『無駄』と思い、何を『働き』と思うか。無駄の考え方として『顧客の要求する品質・納期・価格を阻害する全ての要素・要因』というとらえ方が大切だと思う。それ自体『経営効率の向上を阻むモノ・行為』でもある。『働き』とは価値のあるもの。『無駄』とは原価のみ上がるもの。儲ける一円も、無駄を省いた一円も同じ値打ち。儲かる事と損を少なくする事とは、内容において天と地の違い。

2012.3.13 『「無駄」と「働き」』

作業には、工程を進めていく上で必要な作業と、全く無関係な作業が混在している。「工程を進める」ということは『付加価値を高める(働き)こと』であり、物の「積み替え、探す」などの働きは、作業者の側から見れば仕事であっても、「付加価値を高めるか」という観点からは仕事とは言えない。どこの会社もムダをさせ、ムダをしていても給料を払うから「ムダも仕事に思えてくる」ことが問題。

2012.3.8 『外注は安いか』

「人が足らない、設備が足らない」と言って、すぐに他所に頼む、外注へ出したがる会社がある。「外注した方が原価が安いから」という人もいるが、そういう自分も原価を構成している一人であるということを忘れてもらっては困る。外注をすれば、発注する人や受け入れたり管理をする人、伝票を書く人、お金を払う人等、諸々の作業が発生する。加工費は直接原価だけではないことをお忘れなく。

2012.3.6 『固有技術と管理技術』

固有技術とは、一般的に「製造条件設定の技術」を指し、主として工学的な技術のことであり、品質管理、工程管理、在庫管理等を、一般的に管理技術と呼んでいる。生産現場では改善や問題解決のために「製造条件の変更、設備を直す」という類いの改善は、固有技術の領域だが、そこには問題を「整理・分析し・探る」という技術が必要であり、管理技術の領域である。この2つのバランスが大切だと思う。

2012.3.1 『生産の主体は人間』

設備集約型企業では、生産の主体は設備機械だが、その操作は人が行う。今後、技術革新が進んで、そのような優れた設備が開発されようと、人間が何らかの形で関わり合わない以上、その設備は動かないし、働かないだろう。機械によって物が作られ、またそれを扱う主体が人間である以上、生産活動に携わる人達は、機械を完全に使いこなすための専門知識と技術が求められる。

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